Can't hit Slow-Curve

美味しいお酒が飲みたいブログです

どこかで呑んでいるあなたへ

呑み友達が死んだ。

帰宅中倒れてそのまま。脳幹出血。

 

友達と言うのも失礼かもしれない。正確に言うなら「呑み知り合い」ぐらい。

ここ最近、3年くらい会ってなかったけど、それでもなんか

寂しいというか、まだ信じられない感じがする。

 

追悼というか、どこかにこの気持ちを吐き出したいので

思い出を語ります。

 

仮にその友達、知り合いをAさんとしましょう。

 

Aさんは僕より20歳くらい上のおじさんで、出会ったのは

今から6年前の2014年。

 

当時僕は、「行きつけの店がある=カッコいい大人」だと思って

行きつけの店を探すため呑み歩くのが趣味だった。

 

そんな中、初めて「行きつけ」と言えるくらい通った店で

常連だったのがAさんだった。

 

カウンタ8席とテーブル2席くらいの店で、Aさんは

奥の方のカウンター席でいっつも1人で呑んでた。

僕は入り口近くのカウンター席で呑んでたから、大抵一番端と端。

 

会えば盛り上がるというわけでもなく、互いにその店の常連仲間ぐらいの認識。

話すと言っても、その時僕はちょうど営業やってた時だったから、

接待に使える店とか、接待終わった後に1人で呑める店とか色々聞いて

教えてもらってた、その程度の関係でした。

 

そう、ほんとその程度。

 

後他にあるエピソードといえば、ワイン呑みたくなってワインバーを

知り合いに教えてもらって、そこに行ったらAさんがいて

Aさん「あれ?ここにも来んの?」

僕「今日初めてですよ!」

みたいな会話をしたくらい。

 

ほんとその程度。

 

別に奢ってもらったわけでもなく、呑んでる時以外に会ったこともないし

なんなら何の仕事してるのかも知らないし、うっすら奥さんと子供が2人

いるくらいしか知らなかった。

 

でもね、その時憧れてた「カッコいい大人」ってのは

多分Aさんだったんだなと思うんです。

 

背中で語るっていうんですかね。

呑み方とか教えてもらったわけじゃないですよ?

でも、なんか「大人はこう呑むんだぞ」って示されてた気がする。

 

だから、今でも死んだことが信じられない。

 

その時の行きつけの店(もう閉店した)の店長から

「Aさん亡くなったらしい」

ってメッセージが来た時はびっくりした。

 

だって今日もどっかで呑んでるんじゃないかなって思うんですよ

会ったら「おっ、久しぶり」みたいな感じで話せるんじゃないかなって。

 

でももう会えないんだなって思うと、悲しいって気持ちと

寂しいって気持ちと虚しいって気持ちがごちゃ混ぜになって

よくわかんなくなるんですよ。喪失感っていうんでしょうか。

 

こういう時どうしたらいいのかなって思うんですけど、

きっと僕に出来るのはもっと沢山いろんな店行って、死んだ後に

「Aさん、こんないい店あったのに早く死んで勿体なかったですね」

って言えるように健康的に長生きすることかなって思います。

 

Aさんありがとうございました。

 

ではっ。